「勉強できる子は生活習慣からしてキチンとしています!」
「バカな子はとにかくだらしないんです」
「大人でも使えない人は当たり前の身嗜みができてない」
「早寝早起き、三食バランス良く食べる偏食の無い子が受験で勝つんです」
「上級校の生徒はスポーツも勉強も芸事も何でも頑張る努力家で人徳も素晴らしい子ばかり」
……この手の言説、教育系研修では珍しくない。
最後には必ず「受験勉強で人格完成」「社会の役に立つ人材を育成しよう」に収斂する。
勉強苦手な子はただでさえ教室で辛いのに、そこに人格否定までオマケで付いてくる。
発達障害や睡眠障害、知的障害の子どもは存在しないかのような話だ。
正直、上記の話は完全に因果が逆転している。
生活習慣を確立できるほど親が面倒を見る余裕があり、偏食を克服できるほど様々な食材や料理を用意してくれる家庭で、勉強以外のスポーツや芸事も習えるほどの富裕層なら、受験にも課金できるだけだ。
平安時代は身分の高さが評価を決めたが、現代は学力がそれになっただけだ。
そろそろ浪人生が決定する時期。
ただ学力が目標校に合格するには足りなかっただけのことで若者が自分を否定しないことを祈りたい。