創作上の抽象化のアプローチというのは、なんというか、読み手に現実の不均衡や衝突をなんとなく普遍的に見せてしまって、結果的に現実にある構造的な問題の認識をぼやけさせてしまうかも、とも思っている。だからキャプションやテキストが現実の問題との接続において重要なのかも。
あるポジショナリティにおいて発生している加害と被害が、普遍的に存在する「悲しみ」として扱われてしまうのではないか、みたいな。
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