スレッズから
>インスタのリールやYouTubeで、イラン系ディアスポラの動画をよく目にする。最近気になっているのは、その内部の分裂だ。とりわけ旧王政を支持するパフラヴィー派の一部では、イスラエルとの戦略的利害の一致を超えて、政治的言説そのものがかなり急進化(はっきり言えば極右化)しているように見える。反イスラーム的な言辞や、軍事介入を歓迎するような発言すら珍しくない。こうした傾向は、2023年にレザー・パフラヴィーがイスラエルを訪問し、ネタニヤフ政権と接触した頃から、SNS空間では一段と可視化された印象がある。
レザー・パフラヴィー自身も、イラン国内で体制変動が起きた場合に、自らが何らかの指導的役割を担えると期待していた節がある。しかし、現実の国際政治の力学や、イラン国内の社会構造を考えると、少なくとも現時点でその構図が成立しているようには見えない。このあたりは、ベネズエラで反体制派の象徴的存在となったマリア・コリーナ・マチャドのケースをどこか思い起こさせる。国外では象徴的指導者として強い支持を集めながら、国内政治の現実とは必ずしも接続していないという構図。

>そもそも、1953年のモサッデク政権打倒クーデターの記憶がいまなお政治意識の中に残る社会で、外部からの「解放」という物語がそのまま受け入れられるとは考えにくい。
さらに少し調べてみると、こうした現象は近年「ディアスポラ・ナショナリズム(long-distance nationalism)」として研究の対象にもなっているらしい。国外に住むコミュニティが、SNSを通じて祖国政治に強い影響力を及ぼし、ときに国内よりも急進的な言説を形成してしまう現象である。実際、イラン系ディアスポラの一部では、パフラヴィー時代を理想化する語りや、イスラエルとの戦略的接近を積極的に支持する言説が、かなり強い調子で流通している。現地社会の複雑な利害関係よりも、「祖国を救う歴史的使命」や「失われた黄金時代の回復」といった象徴的物語のほうが、SNS空間でははるかに拡散しやすいのだろう。
そう考えると、こうした言説はナショナリズムというより、むしろ歪なナルシシズムに近いものにも見えてくる。自分たちが歴史の中心に立ち、祖国の運命を語る主体であるという感覚が、現実の社会や政治の複雑さを覆い隠してしまうからだ。

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