ヒットラーもスターリンも、小物として軽んじられてたからこそ、なんだか気づいたときには誰にも排除できない絶対権力者になっていた、というのは忘れてはいけない事ですよね。

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例の、あの、マジメで菜食主義、子供にやさしくて使命感に燃えた、たばこもアルコールも喫まない、チョビ髭のおやびんです。

初めは「まじめくさった冗談みたいなやつ」と当のドイツ人たちからも思われていた。

本人も自信を欠いていたようで、1932年8月30日、そのころは政治家としては失脚して、誰にも、身内にすらも相手にされなくなって、やけくそで、むかし取った杵柄、ジャーナリストとして余生を生きるべく、欧州をさすらっていたチャーチルに会ってみようと考えてみたものの、落魄したチャーチルにすら「位負け」しそうな気がしてきたヒットラーは、会談をやめて、ミュンヘンの、チャーチルが投宿していたホテルの玄関まで来ていたのに引き返してしまう。

ドイツ財界や伝統支配層からも、まともな政治家とみられていたわけではなくて、

ああ、あのババリア生まれの面白い跳ねっ返りの男ね、で、

共産主義者を蹴散らすのに、きちがい犬として飼っておくのは良い考えではないか、程度だっだのに、あれよあれよいうまに政権を取り、ポーランドをプーチン、じゃないや、間違えました、スターリンと語らって分割してしまうが、そのころはまだ、

一時の鉄砲玉政治家のイメージは拭えていなかった。

いまもむかしも変わらん部分は変わらんね人類

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もっというとアメリカやイギリスでも、例えば「翼よ、あれがパリの灯だ」なんちゃって、映画が世界中でばかうけにうけていたリンドバーグなども、レトリックをいろいろに工夫して大衆の袋だたきにあわないように気をつけながらではあるが、かなり明快なナチ信奉者で、もっともっと言えば、イーロン・マスクがよくなぞらえられる自動車王フォードも、わざわざ船で大西洋を越えてナチの勲章をヒットラーから首にかけてもらって大喜びするほどの身も蓋もないナチ信奉者だった。

ま、実態は、なかなか物事が変わってくれない「民主主義」というものに、繁栄のなかで、

ひとびとは飽きていたんですね。

だから民主主義社会・資本主義社会の矛盾、貧富の拡大、性的な露出、社会のヘンテコリンなやつらののさばりかた、… (彼らにとっての)暗部にばかり眼がいって、「こんな社会は、もうダメだ」とつぶやくことや抗議することが知的人間とみなされるための一種のライセンスになっていた。

21世紀を生きている我々には、その鬱憤の先には、「民主社会よりも、もっとひどい社会」が待っていたのを知っているわけですが、そのころのひとびとは現場に臨場している当事者なので、そんな上等なことには気がついていません。

ちょっとくらいのヒットラーの嘘や眉唾は許容していいから、

本気で、民主社会なんてぶっ壊して、「よりよい社会」に移行しようと考えていた。

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