隗より始めよといいますから私の考えを言うと、基本的人権はたしかに国家以前の権利と考えられています。沿革的には、基本的人権がもともと自然状態についての考えから始まったところにあると思います。
つまり「国家が存在していない状態でも人間には生きる権利があり、人々はその権利を守るために国家を作ることにしたのだ。これが基本的人権である」という考えを前提とする限り、基本的人権は国家以前のものだと考えることになります。
「国家が成立する前の人々が『基本的人権(あるいは自然権)を守るために国家を作ろう』と考えた」というのはフィクションだとは思います。しかし「国家が基本的人権を創設した」と考えると、国家がこれを自由に消滅させられると解釈されかねません。

そのため「たしかに基本的人権を保障するためには国家権力が必要だが、なぜ国家が基本的人権を保障しなければならないかといったら、それが国家自体の目的だからだ」と説明しておくことが妥当と考えられます。
「そんなのは嘘だ、フィクションだ」と言われればそのとおりです。でも「フィクションであることはわかっているが、フィクションでないものとして扱おう」と広く合意されているとき「フィクションなんですよ」と言い立てることには意味がありません。
会社(法人)だってフィクションですが「『会社』を目の前に出してください。社長でも株主でも従業員でも社屋でもなく、会社です。出せないんですか? だったらあなたの会社は存在していないんですね!」と言っても意味がないのと同じです。

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