#雨宿りのくに $[font.serif 第一話「スミレとセイジ」]


 日本の梅雨が五ヶ月ほどの長さになって雨季と名前を変え、それ以外の季節が乾季と呼ばれる事に抵抗した俳人たちが「爽季」を提唱して、それがもうそろそろ辞書に掲載されるぐらいの頃──。

 雨季の終了が気象庁から公式に発表され、いよいよ爽季が始まるぞと学生たちがレインブーツを脱ぎ捨ててブランドのスニーカーに履き替えたというのに、「雨季の戻り」は例のごとくやってきて新品のスニーカーのソールに水垢を染みつけていくのだった。

「セイジはやく!」

 頭上の「ドローン傘」を気にしつつ、アスファルトに波紋を浮かべる水溜まりをオニツカタイガーの新作スニーカーで蹴りながら、スミレは後から追ってくるセイジを呼んだ。

「待てってスミレ!」

 セイジもエアマックスを気にしつつ、スミレの後を駆けて追う。二人の前方には通学路に面した二階建ての「避難所付きコンビニ」が見える。

 激しいスコールにポロシャツを濡らされた二人はコンビニに駆け込むと、頭上に浮かんだドローン傘のマルチコプターから傘を外してレジ横の乾燥機に差し込んだ。すでに先客でいっぱいで、乾燥機に刺さった傘の柄が枯れ木の林みたいだった。傘を外されたマルチコプターは再び二人の頭上に戻り、フワフワ浮かんで濡れた髪を乾かすドライヤーになる。

「なんか買う?」

 ポニーテールを絞りながら訊くスミレに、セイジはスマホをスワイプしながら答える。
 
「ガリガリ君の200円クーポンあったわ、これでいいや」

「濡れたのにアイス?」

「いや、でも暑ちいじゃん」

「まあそうだけど」

 ソルティライチとガリガリ君を買って二人が2階に上がると、すでに通学路から逃げ込んで来た学生たちで蒸すほど混み合っていていた。スミレとセイジはしっかりと手を繋ぎ、リラックスできそうな隙間を探しながら、途中クラスメイトや先輩たちに挨拶しつつ、二人きりにしてもらいたい雰囲気を醸し出して、ようやくリサイクルボックスと可燃のゴミ箱の間に落ち着いた。

 避難所にいる数十人の学生と、大人と子供と、老人たちも皆、天使の輪のように頭上にマルチコプターを浮かばせて、しかしそれが当たり前の光景になっている。

 2020年代に急速に発達したマルチコプターの技術は、人間を手で持つ傘から解放した。平均気温が22℃に達した日本において、豪雨の日には雨を防ぎ、酷暑の日には日傘とパーソナルファンになる個人用ドローンは、生活に欠かせないものになっていた。

「最悪。せっかくお婆ちゃんに買ってもらったのに」

 オニツカタイガーのソールを気にしながら言うスミレに、セイジはガリガリ君を齧りながら訊く。

「それ限定? 見たことないやつだ」

「表参道のショップ限定、カッコ良かろう?」

 スミレが胸を張ると、セイジは屈んで、オニツカタイガーの爪先を撫でながら返す。

「バリクラ、かっけえ色、クラシックオブクラシックじゃん。もったいないな、雨」

「ほんとだよ。『避難所』にも靴クリーナー置いてくれればいいのに」

 スミレは憤然としてそう言って、いつのまにか靴先から指でたどって脛を撫でるセイジを、そのままにした。

 雨季の常態化に対して日本政府は治水を優先したが、その結果として避難場所の確保が遅れ、とくにゲリラ豪雨での人的被害が甚大となり時の政権は対策に追われた。白羽の矢が立ったのはコンビニエンスストアで、数ある店舗の2階や屋根の上を避難所にする工事と地所取得に助成金を出した。

 世界情勢を鑑みて防空壕やシェルターを整備すべきだという反対意見は根強かったが、地下施設の水没が相次ぎ、児童生徒たちの緊急避難が頻繁に報道されたことから、珍しく政府の判断が賞賛されたのだった。

 豪雨は2階の避難所のガラス窓を強く叩いていたが、遠くからその雨音よりもさらに大きなヘリコプターのプロペラ音が近づいてきて、避難所の雑談を中断させた。そして、北から南へとヘリが頭上を過ぎていくと、再び学生たちの雑談が始まる。

「あっちってどこ基地? いま来た方」

 薄暗い窓の外の様子を伺いながら訊くスミレに、セイジは食べ終わったガリガリ君の棒切れを可燃ゴミに捨てながら言った。

「横須賀だな、多分」

「逆だと横田? なんだっけ」

「だいたいね」

 時事問題はもはや青少年が授業で取り扱うには混迷を極め、道徳の授業で点を取るための「一般常識」を心から信じているひとは少なかった。それでもまだ首都圏の上下水道は持ち堪えているし、こうしてコンビニも24時間営業している。──少し地方に行くと、「新種の野生動物」に食われるぞ、なんて噂も時々聞くけれど、「必ず」フェイクニュースであると政府からの発表があった。

「今日の塾って本校?」

 セイジが訊くと、スミレは窓の外を見つめたまま首を振った。

「今日はストリーミングだから、大丈夫だよ」

 スミレがそう返してセイジをじっと見つめると、セイジはスミレの耳元に唇を近づけて、ふっ、と息を吹きかけた。耳に吐息を受けたことと吹き撫ぜたことに、二人は初々しく興奮した。若々しい慕情がひといきれのなかで互いを熱くさせて、乾いたはずのポロシャツがしっとりと汗で濡れる。しかし空模様はそんなことお構いなしに雨足を強め、人々の夕方の予定を狂わすのだった。



1

If you have a fediverse account, you can quote this note from your own instance. Search https://misskey.io/notes/ajl4s0eq2ag105ri on your instance and quote it. (Note that quoting is not supported in Mastodon.)