創作のためのシステムはある意味で自律的に成長するけど、表現したいと作家が考える主題がそれによって酌み尽せないということはほとんど普遍的な現象だとおもえる。表現のための方法によって、表現の内容が上手く言い表せているか、つまり造形的なシステムと主題との一致したものがよくできた作品だというのは単純すぎる話で、むしろそのギャップこそが常に重要だとおもわれる。作品が語りこぼしていることがたくさんあるのは、その方法上の限界があるからだけど、その方法論によって語ることができない領域が示唆されることがなければ、作品は主題に充足したままになる、というか方法論によって語りうることの範囲内に主題が収まることになる。
What you see is what you see ってこういう意味での主題の切り捨てではあって、造形的な方法だけ取り出してみたようなものだ。それはおもしろいし探求に値するとおもうんだけど、すべてが方法論に収まってしまうという問題がある。
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