高尾山に行ってきて、薬王院ちかくでちょっと登ったところにシベリア抑留者供養碑があったので寄ってみた。シベリア抑留者の供養碑は一枚目の写真で見てのとおりのものだけど(「嗚呼シベリア鎮魂歌」という歌がパネルにあった)、そのすぐ隣に「満蒙大陸林業人供養塔」というものがあり、昭和49年に建立されたものだった。碑文の前半を抜粋すると次の通りである(句読点は適宜おぎなった)。

"近代日本の国策に則り、曽てアジア大陸の一角で満蒙林野の正規経営に挺身すべく、官民一体の民族の大移動が行われた。しかし残念ながら敗戦により雄図虚しく祖国に帰還せざるを得なくなった。その間国境を越えた物故の五族協和同人は、多数に上っている。この「満蒙大陸林業人供養塔」は、これら物故者の英霊に供養を捧げ、その冥福を祈るために満蒙に住んだ官民林業関係者が悉く参画し、全魂こめた体制で建立したものである。(...)"

「近代日本の国策に則り(...)官民一体の大移動」とは言うまでもなく植民地化の歴史そのものだけど、当事者たちや関係者の意識としては、満州とはアジア近代化への貢献なのだという意識なのだろう。敗戦によってその信念が揺らぐことはなかった。日本的すぎてショックでもなんでもないけど、パレスチナの地に入植を続けるイスラエルの人たちの意識もこのようなものだろうかと考えていた。

高尾山にあるシベリア抑留者供養碑。碑には「望郷 シベリアに眠る抑留者供養碑」と刻まれている。また、隣に「嗚呼シベリア鎮魂歌(レクイエム)」という歌の歌詞のパネルが置かれている。碑に置かれた花は造花。「満蒙大陸林業人供養塔」の石碑。シンプルな石碑で、2mくらいはある。「満蒙大陸林業人供養塔」の隣に置かれた、建立にあたっての文言が刻まれた石碑。碑文は次の通り。

"近代日本の国策に則り、曽てアジア大陸の一角で満蒙林野の正規経営に挺身すべく、官民一体の民族の大移動が行われた。しかし残念ながら敗戦により雄図虚しく祖国に帰還せざるを得なくなった。その間国境を越えた物故の五族協和同人は、多数に上っている。この「満蒙大陸林業人供養塔」は、これら物故者の英霊に供養を捧げ、その冥福を祈るために満蒙に住んだ官民林業関係者が悉く参画し、全魂こめた体制で建立したものである。これが建立にあたっては、とくに高尾山薬王院はじめ、林野庁 東京営業局、東京営林署、東京都、日本林業技術協会、全国林業改良普及協会、その他の絶大なるご援助を賜った。なお工事関係については、吉田茂八、後藤東吉両氏の労を多とするものである。以上銘記し、深甚の謝意を表する。昭和四十九年 六月"
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