space nobi で開催中の櫻井崇史個展「絵を見る会」関連企画として、「絵をさわる人をさわる」を、今日17:00〜おこないます(終わりはどのくらいになるか現状では不明ですが、1時間くらいになるとおもいます)。

配信URLは以下になります。 https://www.youtube.com/live/YY0FczBKaz0

なかなか謎イベントなのですが、告知のかわりに書いたガイドがあります。 ご興味があれば、配信をご覧ください(配信はアーカイブされます)。


明源のいう「観察」は、通常想起する「見る」こととは距離がある。それは、なんらかの媒体を介して見えるものを触知可能なものにするところからはじまる。たとえば、画集の一部を切り取ってみるとか、写真を印刷したりするような操作だ。こうした変換によって、もともと視覚的であった対象は、手で扱うことのできる「もの」へと転じる。

明源は、そのようにして触知可能となった印刷物に、自身の感覚を通して得た印象を書き込む。ただし、それは文字による記述ではなく、視覚的な情報である。たとえば、面と面の稜線を強調したり、動きの方向を線で示したりといった具合だ。つまり彼の行為は、最初に与えられた視覚情報に対して、再び自身の感覚を介して入力し直す、いわば再帰的な操作である。明源の「観察」とは、触覚という媒介を通して、視覚へのフィードバックを生み出すことだ。

明源の「観察」は、櫻井の制作と逆方向を向いている。櫻井は、まず油粘土のような触知可能なものから出発し、それをデータ化する。データ化された油粘土は、触覚を喪失して視覚的表象に限定された対象になる。3Dスキャンがカメラを通じて為されるということを想起すれば、この過程は偶然ではない。さらに言えば、展示室において、鑑賞者は作品を触ることを許されない。絵画の鑑賞という制度は触覚の喪失のうえに成り立っている。本展では、櫻井の制作の始点となる油粘土の制作から、終点となる展示室への作品の展開まで、断続的に触覚の排除がおこなわれ、鑑賞者は視覚的な存在者に据えられる。

明源と櫻井による「絵をさわる人をさわる」と題された本イベントは、明源が櫻井の作品を独自に操作し、変換し、二次的なものを作るところからはじまっている。イベントでは、明源と櫻井がこの「もの」を使って組み手のような形で変換を繰り返すことになるだろう。櫻井の作りだした「視覚」は、明源の「観察」によって上書きされ、フィードバックが生じる。「制作/鑑賞」という一方通行の行為はフィードバックの回路につながれ、制作者と鑑賞者の関係も再構築される。(天重)

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