粟田さんの文章、なんか微妙な論調というか、ほんとうはもっと批判したいけど依頼主だしな...みたいなのを感じる。 https://www.momat.go.jp/magazine/250

"そのうえで「主体」についても問い直す必要があるだろう。本展カタログの論考にも「主体」あるいは「人間」という言葉が散見されるが、苗字・姓ひとつとってみても家父長制や近代的家族規範のマインドが根強い日本において、彼女たちの主体は、西洋かつ男性を前提とした「主体」とは異なり、「主体/性」と二重化されたかのように社会的性差から逃れることのできないものであったはずだ。ゆえに、ポロックの言うように「彼女たちは、ジェンダー化された身体と制度のなかで決断し、制作した『美術家』」ではなかったか。 "

↑このへん読んで、展示でまさに触れられていなかったのは性を巡る制度の問題で、図録に記述される姓についてもなんら注釈がないし、結婚制度に対する考察もなかったなと。 展示のなかで、「これはダメでは?」とおもったのが、白髪富士子のコーナーにあったテキストで、それはアーティストたちのパートナー関係についての記述で、白髪一雄・白髪富士子は、富士子が制作をやめて一雄を支えることになるのだが、ほかに男性のほうが妻を支える形になっていたり、女性と女性の扶助関係があったりと紹介されていた。ようするに「パートナー関係はいろんな種類があるよね!」という論調なわけだけど、このような論調だと婚姻関係というのは完全に背後に退く。結婚によって制作を引退するという、ある意味で戦後女性の典型的なあり方と重なってしまう白髪富士子のところで、そういうこと書くのか?書いていいのか?というのがけっこうイラついてしまった。

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