「差別はすべてよくない」とすると、大切な部分が抜け落ちてしまうと感じている。
例えば、うちは妹が先天性の重度精神障害なので、子どものころからそこそこの差別を家族全体が受けてきた。
しかし、それによってそれぞれが強くなった部分は確実にある。差別や侮蔑を笑い飛ばすことによって対抗する、といったような、逆説的強さ。
しかし「差別は存在してはならない」とすると、そういった強さや柔軟性まで、全ての記述や文脈から抹殺されてしまう切なさも感じてきた。
逆境によって強まる精神性なんかが、あまり注目されない現代。
まぁ、私くらいは注目していきたいとおもう。うえを