マイノリティがマジョリティを告発するとき、マジョリティの憎悪を最も引き出すのは「私たちマイノリティは正しく潔白だが、あなた方は差別心や悪意で汚れている」という仮定を投げつける時ですね。

そして、マイノリティの中でも言葉も持たない最も弱い人がその争いの犠牲になる、という。

「自分たちの手は白く、お前たちは汚れている」という主張は、福音書の中のパリサイ派の主張そのものであり、そのやり方では建設的な議論はできないと、マイノリティ側も自己批判する必要があると思っとります。

マイノリティも同じ人間として、同じように汚い。そこから始めたい。

対話は「正しさ」や「優劣」を巡るものではなく「社会的平等性」や「社会的調停」を巡るものでなくてはならない。民主主義の枠内での対話なのだから。

ナチ党が利用したのは、「正しさ」や「優劣」でしょう。
それは危険だ。

ニーバーを読みながら、そのような立場を強くした、という読書メモ的話。

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