花筐は精神病院に取材していて、能面と合成しているんだけど、もちろんこれは差別的なもので、女性の情念を他者化する操作になっている。他方では女性像の理想化が遂行されていて、たとえば浮世絵の図像を参照しつつ売春的要素を排除していくという過程がある。このへんは島成園が暴露的な絵を描いたのと対象的だなと思う。 https://trillion-3934p.hatenablog.com/entry/2017/08/11/181516

当時の上村松園、島成園、池田蕉園らの登場、女性が自己表現を通じて自己イメージを更新するという過程がかなりあるなと思うけど、その文脈で西鶴が注目されてたの興味深いんよね。好色五代女って女性が恋で身を滅ぼす話なんだけど、女性が恋を通じて主体性を発揮することに着目していると思う。

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三橋修『<コンチクショウ>考』が、すこし時代の下った近松の心中物などを取り上げて、心中の備える身分制を超える契機や、その契機が結果的にふたたび身分制の差別に落とし込まれていく過程などについて論を立てています。30年以上前の本なので現在でも通じる論かはわかりませんが。
cir.nii.ac.jp/crid/11300007950
QT: hollo.tenjuu.net/@tenjuu99/019
[参照]

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